いや、タイトルに偽りありで、正確には「映画研究部」の人達に遊んで貰っていた、と書くべきか。いずれにしても正式な部員ではありませんでした…。
僕が通っていたのは、東京都武蔵野市にある「成蹊高校」という学校。なぜか映画作りが盛んな学校でもありました。上級生の映画集団「ホイチョイ・プロダクション」の学園祭での上映会はいつも長蛇の列だったなぁ。
さて、前回のブログで高校時代のバンドの連中に会った話を書きましたが、その中の何人かはバンドをやりながら、映研で映画も作っていました。映画といっても当時はまだビデオも無い時代。8mmカメラなんて書いても何のことやら、かもしれませんね。
一緒にバンドをやっていることもあってでしょうか、彼らの作る映画に出演させてもらったことがあるのです。ギターの寺田が脚本・監督、ベースの近藤は撮影を担当。写真はそのワン・シーン。ヘッヘッヘ、何かイイ役そうでしょ?
劇伴(映画音楽)もそのバンドで録音。僕にとっては役者よりそっちが本業ですから。左から我孫子(Drums)、後ろ姿の吉岡(Keyboard)、寺田監督(Guitar)、中野。
この時の映画で「全国高校8ミリ・フェスティバル」なる映画コンクールで賞を獲ったことも。自分の名前が「ぴあ」に初めて載ったのを見た時は嬉しかった。パソコンはおろか、ワープロも存在しない時代に、活字による自分の名前を見ることは極めてまれな出来事だったからです。
その後、ギターの寺田敏雄はTVドラマや映画の脚本家になった。Wikipediaを見るとずいぶんと沢山の作品に関わっているようです。スゴいな〜。
ベースの近藤洋史はフュージョン・バンド=「ハングライジ」時代までは行動を共にしていました。その後、90年代には女性ボーカルとの2人組ユニット「ELLIS」でのメジャー・デビューを経て、作・編曲家としても多くの作品に参加。最近はビデオ制作の仕事も行っており、ミュージシャンと2足のわらじ状態。実はBOSSのプロモーション・ビデオも数多く手がけていて、僕が演奏を担当している映像も彼の手によるものが多いのです。(左下のカメラマンが近藤です)
映研の後輩には、後にプロの映像作家として活躍する手塚眞君も在籍していて、その縁から彼の初期作品のいくつか(FANTASTIC★PARTY、MOMENT)の音楽を担当させてもらいました。
高校時代の真夏の河川敷。ロケでヘロヘロになるまで歩き回ったこと、それでもみんなで一つのものを作る楽しみを知ったことを、今もあまり変わらぬ景色のその場所を、自転車で訪れる度に思い出すのです。
映画コンクールで 賞を貰ったんですか!
返信削除スゴいですねぇ~
写真も カッコいいです!
映画観てみたいです!
良い仲間に恵まれたのだと思います。僕も見てみたいような、見たくないような…。
削除ぅおぉ!中野さんの甘酸っぱい時代をご開帳で俄然ブログっぽくなってきましたw
返信削除今後の展開にも期待しています♪
ありがとうございます。今後もときどき、こんな内容ののものを書きたいと思っています。
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