2011年8月14日日曜日

バンド活動は大変、でも面白かった!

1980年に学園祭の為に集まったメンバーで結成された学生バンド「ハングライジ」は、1981年2月から毎月、六本木ピットインで演奏するようになります。それほど多くのお客さんが入ったわけでもありませんが、その当時の六本木には、フラッとライブを観に来てくださるお客さんも多く、何とか続けていくことができたのは幸運でした。

ピットインに出演し始めて嬉しかったことは、この店に出演している他のバンドを無料で観ることができたこと。「ミュージシャンはみんな仲間だ!」ということだったのでしょうか、多くの優秀なプレーヤーの生演奏を聴くことができ、刺激を受けました。

81年の夏には日比谷野外音楽堂で開催された「サマージャズ・フェスティバル」に出演。初めて数千人の前で演奏する機会を得ました。そりゃビビりましたよ、半年前までライブハウスで演奏したことさえなかったんですから。

1番右の背中が私です。

徐々に活動の幅は広がっていきましたが、内心は不安でいっぱいでした。何故なら、既にプロとして活躍している人を含め、他のメンバーは明らかに自分よりも高いレベルだったので、付いていくだけでも必死だったんです。この時期は特に一生懸命に練習したと自分でも思います。

2年後、遂にレコーディング契約を獲得し、1983年の4月21日にファースト・アルバムが発売されました。

ジャケットとチラシ。ちと恥ずかしい写真です。

レコード会社的な視点で言えば、レコードはそれほど売れませんでした。が、個人的には買ってくれた人達が数千人いたことや、テレビやラジオの番組のテーマ曲やBGM、ジングルに使って頂いていたことを、心の中では喜んでいたのです。

いろんなことがありましたが、思い出すのは変なことばかり。

大分の別府で生まれて初めて食べた白いスープの九州ラーメンにビックリしたこと、最初で最後の関西ツアーで車がオーバーヒートして、時速40キロで東名〜名神を何時間も掛けて走ったこと、ライブの日に大きい台風が来てしまって、お客さんが4人しかおらず、しかも店が浸水したこと、などなど…。

83年の年末にはフュージョン系バンドなのをいいことに、渋谷の西武劇場「ニュー・イヤー・ロック・フェスティバル」と新宿歌舞伎町の「オールナイト・ジャズ’83〜84」の両方に出演する快挙(?)を成し遂げましたが、年が明けると徐々に活動が停滞していきます。「解散する」とか、「脱退する」といった話をした記憶は全く無いのですが、個人的には活動の場を他に移していきました。


まだまだ、プロというにはほど遠い状態でしたが、音楽の世界で生きていくことを決心していくのです。続く・・・ても良いですか?

当時の機材の事を「Equipments」に追加しました。

5 件のコメント:

  1. 潮見 真実2011年8月14日 23:40

    あっという間に読み切っちゃいました。
    興味津々です。
    ぜひ、続けて下さい!!

    期待してます♪

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  2. 私も待っていました。おもしろいです。
    レコードのジャケット、このハングライジさんとかフュージョン系は全然知らなかったけれど、80年代の感じってこうでしたね。今もしこれがあったらジャケ買いでもしてしまいます。すてきです。
    そのころ、商店街の「レコード屋さん」にCD用のカギのかかるガラスケースがあって、中身はほとんどクラシックだったのを覚えています。それから何年もしないうちに私も「CDコンポ」を入手してCDばかり買うようになりましたが。

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  3. 楽しんで頂けているなら嬉しいです。次回もよろしくです!!

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  4. カジーニョ2011年8月22日 23:39

    私、このレコード買った数千人の一人です。Pit innのライブも楽しんでました。最近、ああいうライブハウスで音楽を聞くってことがなくなってちょっと淋しいです。当時のライジのメンバーはまだ活動してるのかな?

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  5. カジーニョさんへ

    ありがとう御座います。
    そういえば、僕も最近は観客としてライブハウスには行っていません。
    行けばきっと楽しいでしょうね。

    当時のメンバーはあまり会う機会は無いのですが、それぞれ頑張っているようです。

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