2011年11月24日木曜日

うわっ、やってしまいました

今週は自宅作業の毎日。コツコツ、真面目に働いてます。

Mac上のデータはDropbox上にバックアップをとってますし、外付けのハード・ディスクにも「Time Machine」を使って自動的に履歴を残しているので、もしもの場合にも、ファイルを消失させてしまうことはほぼ無いと言える環境になっています。そんなわけで、最近はCDやDVDの出番はほとんど無くなりましたけど、ちょっぴり大事なデータがあったので、DVD-Rに焼いておこうと思い立ちました。

バックアップを取ったものの、ディスクにメモ書きを残しておかないで、後で中身がわからなくなることが多いですよね。油性のフェルトペンでしっかり書いておきましょう。 無事にディスクが出来上がり、Macからイジェクト。


このまま、先にディスクを手に取ってしまうと、ペンのフタが空けられなくなるので、キャップを外してからディスクを取ろうしたその時、

写真はイメージです。その瞬間は撮影する余裕無いッス。

うわー!お気に入りの真っ白なGENELECのスピーカーにペン先が当たって、子供のイタズラ書きのような線が!あわててウェット・ティッシュで擦ってしまったので、余計に広がってしまいました。このまま何年もこの状態で使っていくのかと思うと目の前が真っ暗になりました。

気を取り直し、ネットで「マジック 汚れ落とし」などと検索をかけてみました。「アルコールで拭く」、「シンナーを使う」などと出てきましたが、そんなもの家にはありませんし…。

そんな中、「メラミン・スポンジで擦って落とす」という書き込みを見つけました。「それなら家にある!」と思い、少しだけ水を含ませてゴシゴシと擦ってみると何と、数分でキレイに落とすことができました。これでペンの痕跡は皆無、ホッと胸をなで下ろしました。スゴイ!!


これって、もしかしたら常識なのかもしれませんが、ネットのありがたみを改めて感じた瞬間でした。

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さて、今週の土曜、11月26日の15時から、ロックイン新宿店A館1Fにて、第2回目のコンパクト・エフェクター・セミナーを行います。今回は空間系を中心に様々なエフェクターの使い方を伝授致します。近くにお住まいの方は是非どうぞ!勿論、無料です!!

2011年11月21日月曜日

幸せの黄色い新幹線

うー、また間が空いてしまいました。申し訳ありません。

楽器フェア終了後は自宅にこもっての仕事が多く、先週も平日は自宅作業の毎日。家での仕事は自分で時間を管理できる自由はありますが、気をつけないと朝から夜遅くまで、仕事しかしていない日々を過ごすことになってしまいます。改善しないければいけないところです。

週末は一泊の行程で広島に行ってきました。広島空港から市内までは距離が少し離れているので、飛行機と新幹線での時間差はそれほどありません。ゆっくり時間を過ごせる新幹線をチョイスして、往復8時間の旅を楽しんできました。

東京駅のホームに着くと、人だかりの中に見慣れない列車を発見。テスト用列車らしき新幹線が止まっていたので、数枚写真を撮って自分が乗るべき「N700系」の車両に乗り込みました。

早速インターネットで調べてみると、先ほど見た試験車は「ドクター・イエロー」と呼ばれていて、別名、見れば幸せになる「幸せの黄色い新幹線」とも呼ばれているそうです。知らなかった〜。 新聞記事にもなっていたようですね。


N700系の車内では「Wi-fi 」によるネット接続ができますし、窓際の席が取れれば電源の確保もOK。今回、その便利さを改めて実感しました。だって「iCloud」のフォト・ストリームでさっき撮った写真はもう、iPad上で観れますし…。スゴイ!

今回のミッションは広島の高校生の皆さんにエフェクターを含めた、サウンド・メイキングの方法を指南することでした。予定外ではありましたが、車内で急遽「Keynote」によるプレゼン画面を作ってみることにしました。

iPadのKeynoteもいつのまにかバージョン・アップしていたようで、以前は使用出来なかった派手なトランジションなども使えるんですね。(今回はシンプルに作りましたが)必要なファイルや写真は、自分のMacと同期した「Dropbox」内のものを読み込んで貼り付けるだけ。まるで家にいるかのように作業できるのです。イヤー、便利すぎです。

その甲斐あってか、本番も良い雰囲気で演奏できました。高校生の皆さんを見ていると、本当に音楽が好きで、それを楽しんでいるのが伝わってきます。自分ががギターを始めた頃を改めて思い出させて貰いました。


帰りの新幹線では、事前にダウンロードしておいた「スティーブ・ジョブズ」をやっと読み始めました。紙の本の方が読みやすいとは思うのですが、持ち運びを考えると、ね。電子書籍にも慣れてきたような気もします。

2011年11月14日月曜日

ディズニーランドの街に住んで

前回書いたように、浦安に住み始めてからもう20年以上が経ちました。ここに住むことにした理由は単純で、「ディズニーランドがあったから」です。

1978年、当時LAに住んでいた親戚を頼ってアメリカ旅行をした際に、初めてアナハイムのディズニーランドに行きました。英語はあまりわからなかったのにもかかわらず、清潔で洗練された環境とエンターテイメントに徹したアトラクション、キャストの親切な態度と笑顔に魅了されました。そして、その5年後に日本にもディズニーランドができることを知り、期待してにその時を待っていたのです。

最初に東京ディズニーランドに行ったのは1983年の3月末。TDLがオープンしたのはその年の4月15日なんですが、ラッキーなことにプレビュー期間中に入園することができました。同じゼミに通う友達がキャストとしてバイトすることになり、開園前のチケットを手に入れて僕を誘ってくれたからなんです。

オープン前で、後から思えば多少の不備はありましたが、その日の内にのアトラクションを全て制覇し(特にスペマンには何度も乗った)、とても楽しい1日を過ごしました。そして、空が広く、海も近いこの土地にいつか住んでみたいと思うようになったのです。

1985年、浦安で暮らし始めた当初は京葉線も開通してなくて、海側の埋め立て地域もまだ開発途中の頃。今のような人気はまだ無く、家賃や駐車場代は都内に比べれば格安で、一人暮らしを始めるにあたっても、多少の交通の便の悪さをガマンすれば住みやすいところに思えました。最初に住んだのは今の京葉線の新浦安駅の近くのアパートでしたが、当時はただ広い空き地が広がる地域だったんです。

その後、TDLには数え切れないほど行きました。特に88年に「年間パスポート」が発売されてからは毎年のように購入していたので。「買い物、食事、花火」のためだけでも気軽に行けるのが嬉しかったですね。


何度か引っ越しはしましたが、市内をグルグルとしているだけで、今のところ気に入っているこの街を離れる気はありません。ただ、ここ数年はTDRの「年パス」は切れたままなんです。時間的な余裕というよりも、気持ち的な余裕が少し無くなっているのかもしれません。無理にでも購入して通ったら楽しめるのかな?

で、83年の時のゼミの友達の女の子とは、その後付き合うことになり、今は隣の部屋でいびきかいて寝てます。こんなオチでスミマセン。

2011年11月10日木曜日

旅の始まり〜1985年


ホテル暮らしと珉珉の餃子」からの続きです。(この記事の一番下、または左側のラベル内の「History」をクリックして頂けると回想系の記事をまとめて読めます。)

1985年の春、大江千里君の3rdアルバム「未成年」が発売され、それに伴うツアーが始まりました。手帳によれば4月24日から5月30日まで9公演。大きなホールで演奏するのは勿論初めてでしたし、大きなセット、様々な演出、観客の歓声など、忘れられない思い出です。

このツアーの大阪公演は「大阪厚生年金大ホール」でした。僕が初めて買ったロックのアルバム「Beck,Bogert&Appce Live」(ジェフ・ベックのライブ作品)が収録されたのがこのホール。そして、東京公演は「渋谷公会堂」。ここも高校生の時にPAのバイトで通った会場でしたから嬉しかったですね。

このツアーからコーラスの松木(濱田)美和子さんと豊広純子さんが参加。音楽的なことに加え、ビジネスとしてのプロのミュージシャンありかた(例えばスケジュール管理の方法やギャラの交渉の仕方)などを学ばせてもらったような気がします。それまでは演奏することで精一杯で、そんなこと考える余裕もありませんでしたからね。

ホール・ツアーに加え、夏は野外イベント、秋は学園祭ツアーとこの後、数年間続く旅から旅への生活が始まったのです。

ジャズやロックのミュージシャンというと、仕事の後は夜な夜な、浴びるように酒を飲む人が多い印象があり、飲めない体質の自分も飲まなきゃ行けない状況に追い込まれるのではないか?などと恐れていたのですが、ライブが終わるとホテルの部屋でルームサービスで食事を済ませるような現場だったので、やれやれ一安心。(後年、飲み屋で打ち上げが行われるようになりましたけど)

ライブの仕事というのは、移動している時間がとても長いので、どのように過ごすのかが課題なんです。80年代ですからウォークマンとかはもうありましたけど、僕はまだ買えなくて、ラジカセ(CDはまだ無い)を持って歩いていました。移動中はいつもヘッドホンで音楽を聴いていたような気がします。

そういえば80年代はツアーの仕事のことを、業界用語(逆さ言葉)で「ビータ」なんて言う人もいましたが、さすがに最近は誰も言わなくなりましたね。

そして、この年の12月。20代中盤になっていた僕は、それなりに収入も上がってきたこともあり、生まれ育った杉並の実家を出て、浦安での一人暮らしを始めます。もう、それから26年も経っているということか…。

2011年11月7日月曜日

SMiLEが届きました

楽器フェアも終わり、次のミッションに向けて準備中といったところです。今日は家で次号の「Roland Music Navi」の原稿書き(執筆というほどではありませんね)。ここのところ、このブログでも仕事の話が多かったので、今回は好きな音楽についてまた書いてみようと思います。

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「僕はビーチ・ボーイズの音楽が好きです。」こう書くにはちょっと勇気がいります。多くの人にとってビーチ・ボーイズとはサーフィン・サウンドのオールディーズのバンドで、「サーフィンUSA」とか「カリフォルニア・ガールズ」のバンドと思われているので、僕がそう言うと「意外ですね。」なんて言われることもしばしば。

勿論、それは間違いでは無いのですが、ビーチ・ボーイズにはクリエイティブなアーティストとしての顔があり、それに対して熱狂的なファンが数多くいるのです。その代表作は「Pet Sounds」と言い、このアルバム無しには後期のビートルズのサウンドは生まれていなかったのでは?と言われる位、ロック史上屈指の名盤として知られています。

そんなわけで、僕はペットサウンズやビーチ・ボーイズをテーマにしたCD、DVD、書籍を集め、楽しんできたのです。



以下はちょっとした解説です。

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そんなビーチ・ボーイズが1966年の「Pet Sounds」の次作として制作していたアルバムが「SMile」という作品だったのですが、このアルバムは未完成のままお蔵入りになってしまいます。 理由はリーダーのブライアン・ウィルソンの精神的不調と言われており、ビーチ・ボーイズの最高傑作として存在するはずだった作品は、遂に発表されないまま40年以上経ってしまっていたのです。

しかしその後、その作品は公式、非公式両方の形態で断片的に流出していたこともあり、世界で最も有名な未発表作品を望む声は衰えることはありませんでした。

そんな背景もあってでしょうか、復調を果たしたブライアン・ウィルソンによる、ソロ名義での作品として遂に2004年にリメイクされ、発表されたのです。その内容は噂に違わぬ傑作。このアルバムを最初に聴いたときは鳥肌が立ちました。ただ、残念なことにブライアンの弟2人は既に故人となっており、またブライアン自身の声の状態も決して良いとは言えず、リスナーはビーチ・ボーイズの作品として、脳内変換しながら聴いていたのではないかと思います。
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そして今年の秋、何とこの「SMilE」がビーチ・ボーイズのアルバムとして発売されたのです。ブライアンを初めとした、若きビーチ・ボーイズのメンバーの声で「SMiLE」が聴けるなんて。そんな幸せを今、聴きながら噛みしめています。

そして、僕は世の中にはきっと埋もれた素晴らしい音楽がまだまだ一杯あるはずだと信じているんです。

今回はちょっとマニアック過ぎましたか?



2011年11月4日金曜日

楽器フェア2日目終了っと


パシフィコ横浜で開催されている楽器フェア2日目を終えて帰宅しました。ここにはリハーサルも含めると5日間連続で通うことになります。

始まるまでは正直、お客さんが来てくださるのか心配していたのですが、蓋を開けてみると、昨日も今日も沢山の人、もの凄い熱気です。こんな時代だからこそ、音楽や楽器を弾く楽しみを皆さんも求めているのかもしれませんね。

ローランド・ブース内に作られたBOSSコーナー。ここで僕ともう一人のギタリスト、山口和也君と交代で演奏しています。


今回の僕の担当はコンパクト・エフェクターいろいろ。歪み系を中心として、ディレイやループ・ステーションなども紹介します。ヘッドホンで細部まで音色を確認できるようなシステムになっているんですよ。明日&明後日(11月5日&6日)もガンガン弾きまくりますので、是非、聴きに来てください!そして、試奏もガンガンできますので、是非、弾きに来てください!!

今年の楽器フェアについては、今月末のRoland Music Naviで写真も含めて公開予定。(なので、ここではちょっと出し惜しみ)更新されたらこちらでも告知しま〜す。

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さて、2年に一度開催される楽器フェアで初めて演奏させて頂いたのは1989年のこと。今から22年前になります。写真は全く残っていないのですが、自宅にビデオがありました。キャプチャー画面なので粗い画質ですが…。


当時、どんな製品を使って演奏したかは、全く記憶に残っていなかったのですが、このビデオの字幕スーパーに記載されていました。


GS-6・・・Rolandブランドから出ていたデジタル・プリアンプ&マルチエフェクター。個人的にもライブで使用していた機種。

GR-50・・・1Uラックのギター・シンセサイザー。PCM音源が載った製品として最初期のモデルなんじゃないでしょうか。自分の好きなギターで演奏できるのは当時、画期的だったんですよ。GK-2というピックアップは現行のGR-55やVG-99でも使えます。

GL-100・・・こちらもラック型のアナログ・プリアンプ。個人的にはラインで使ったサウンドが好きで、レコーディングでよく使いました。


DEP-5・・・80年代末に多くのギタリストのラックに搭載されていた、定番空間系マルチ・エフェクター。これのコーラスが好きでした。

まだ、V-Drumは製品化されて無くて、Key、Bass、Gtの3人編成。ドラムはMC-500MKIIで打ち込んでR-8を鳴らすシステムでした。

そんなことより、「ヒョウ柄ってどうなの?」とか言われそう。まあ、いいじゃないですか。

1989年は僕にとっていろんな意味でターニング・ポイントになった年なんです。Historyとして後日、改めて書かせて貰いますね。