2011年6月30日木曜日

楽器を教わるということ

ギターを始める前、子供の頃にピアノ(5歳から)やフルート(9歳から)を習っていた時期があります。どちらも好きで始めたはずなのに、延々と続く練習曲だけのレッスンは小学生の僕にとってはとても苦痛でした。だって、曲を演奏したいのに、「基礎が大事」とばかりに何年も自分の好きな曲を弾かせて貰えないのですから。自分で譜面を買ってきて弾いてみるものの、当然、上手くは弾けませんし、譜面を読むのも大変です。で、結局投げ出してしまいました。

サッカーとフルートは時期がちょっと重なっているので…。

中学校に入ってからはサッカー部に入部。これがボールを蹴らしてくれないんですよね。1年半、筋トレと球拾いばかりさせられました。たった3年間しかない中学時代の半分をこんな風に過ごすなんて…。(今は違うんでしょうね)

結局、1人で公園で練習する時間が最も楽しい時間でしたが、チームプレイやシュート練習などはできませんから、パスとリフティングばかり上手くなってしまいます。

そして高校に入り、エレキギターに出会います。正しいフォームや弾き方だってまだ確立していない時代。(今でもそうかな?) 何を弾こうがとてつもない自由を感じることができるギターという楽器。僕にとってはこれにハマってしまうのは必然だったような気もします。

そんな我流でギターを弾いていた1977年=18歳の時、たまたま、ヤマハ渋谷店のギター教室で生徒募集をしていることを知りました。「中級コース、オーディションあり」とポスターに書いてあったその教室の講師は、当時、「金子マリとバックスバニー」のギタリストだった永井充男氏。とても好きなプレイをするギタリストということもあって、通ってみたくなりました。オーディションは無事に合格、4人で1クラスのレッスンを1年間受けることになりました。(今思うと信じられない位、月謝も安かった)

ラッキーなことに他の3人が途中で教室をやめたので(その内の1人はデビュー直前のサザンオールスターズのギタリスト、大森隆志さん!)、半年間は個人レッスンのようになり、ここで多くを学びました。素晴らしい音楽を沢山教えて頂いたことも勿論なのですが、先生のライブをライブハウスでかぶりつくように見て、レッスンではその演奏について質問攻めにして得たことや、さり気ない世間話の中で学んだ事の方が大きかったのかもしれません。

ギターをどう弾くかというテクニックよりも、楽器に向かう姿勢や考え方を習っていたような気もします。仕事の中でつい流されてしまう今の状況の中でこそ、それを忘れないようにしないと、なんて思ってます。(ヤマハ渋谷店は昨年末に閉店。さびしいです)

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それから何年も経って、1980年代の中頃だったと思うのですが、フジテレビの廊下で永井先生にバッタリ会ったことがありました。永井さんは当時、宇崎竜童さんの「竜童組」のメンバーで、僕は多分、大江千里君のサポートしていた頃だと思います。

その時、僕はとても嬉しかった。何故なら、プロのミュージシャンの端くれになり、憧れていたギタリストと同じ番組(夜のヒットスタジオだったかな?)に出演できるなんて、夢だと思っていたから。いろいろな幸せ、本当にありがたいことです。

2011年6月26日日曜日

Tokyo Guitar Show 2011

今年も東京ギターショーで演奏させて頂きました。予想以上の盛り上がりで、多くの、そして幅広い年齢層のギターファンの皆様を目にして、本当に嬉しく思いました。
試奏コーナーも大賑わい!

今回の僕の担当はコンパクト・エフェクター全般。ですけど、エフェクター単体のデモはDVDやローランドのサイトでも映像がご覧頂ける状況ですから、いつもとは全然違う内容にしたいと考えていました。そこで、今まではあまりやったことの無い、「複数のエフェクターの組み合わせ」を基本に内容を組み立てることにしました。30分×3本立てのほぼ一発勝負、どうなることやら?と思いながら本番に臨みました。
今回の主役!これは「空間系編」時のエフェクター達です。

ギターも今回は2本用意しました。

アンプは勿論JC-120

その場でエフェクターのノブを設定しながら(しかも、解説しながら…)の演奏は気を遣いますし(予め設定しておくということができないので…)、かなりのプレッシャーがありました。まあ、細かいミスはありましたが、結果的には良いサウンドを聴いて頂けたのでは?と思っています。

本番直前。MCはかわいい碧井エリさん。

さて、今回の他の製品のデモを担当されたプレーヤーさんはテクニシャンが揃いました。矢堀孝一さんは勿論、若手の山口和也君、Rie a.k.a Suzakuさんも、もの凄いギター・テクニック。RCシリーズを駆使したボーカルと演奏をされたナオリュウさんも、さすがのパフォーマンスを見せてくれました。

何故か、男3人だけで記念撮影。(笑)矢堀さん、山口君と。

まだまだ自分の未熟さをまたも思い知らされました。みなさん自分の音楽をクリエイトしているアーティストであるところも素晴らしいと思います 。またも、自分には「な・に・が・で・き・る・の・か・?」という命題を与えられたような気がします。 年齢は僕が1番上なんですけどね。 う〜ん。

ご一緒させて頂いたプレーヤーの皆さん、MCの碧井さん、ローランドの社員の皆様、スタッフの皆様、そして、観に来て頂いたお客様、Ustreamでの中継で見て頂いた皆様。このような素晴らしい環境の中で演奏する機会を与えてくださって、本当にありがとう御座いました。次の機会により一層、皆様に楽しんで頂けるように頑張りたいと思っています。また、お会いできるのを楽しみにしています!

P.S.
会場にてお声を掛けてくださった皆様にも感謝致します。是非、また観に来てください!!

2011年6月21日火曜日

憧れのライブハウス

1979年頃、つまり20歳位の時の僕の最大の目標はライブハウスで演奏することでした。まだその頃のライブハウスはチケット・ノルマ制では無く、バンドとしての力量が問われることが多かったような気がします。テープ審査やオーディションがあり、アマチュアでは簡単には出させて貰えない時代でした。

それまでの僕は学園祭など、学校内のイベントでしか演奏したことが無く、僕にとってはライブハウスとは観客としてライブを聴きに行く場所。もし、出演することが叶ったら、もうギターに関しては思い残すことは無いと思うほど、本当に憧れていました。

そんなある日、大学の先輩のバンドが吉祥寺の小さなライブハウスに出演することを知り、観に行くことに。そのバンドは演奏もとても良かったのですが、僕が最も印象に残ったのはギタリストの足元のエフェクターに接続されたケーブルがガムテープで固定されていたことなんです。

その頃のアマチュアのライブは(今でもそうかもしれませんが…)、いくつものバンドが15分〜20分演奏してはセット・チェンジが行われるので、機材のセッティングを自分自身で素早く行わなければなりません。なので、ケーブルを固定するなんてことはワンマンのライブでなければできなかったのです。

そんなわけで、いつかは自分もライブハウスに出て、ガムテープを貼るんだ!と闘志を燃やしながら練習に明け暮れていた1980年頃、同じ大学に通うドラマーから学園祭で演奏するためのバンドに誘われます。その男はジャズ・ドラマーのジョージ川口さんの息子で川口雷二といい、学生離れした凄い演奏をすることで既に学内では有名でした。そんな彼から誘われるのは光栄だと思い承諾。そして、学園祭での演奏は無事に終了。楽しかったですけど、僕はその場限りのセッションだと思っていました。

ですが、その年末に「ライブハウスの出演が決まったから」と連絡を受けました。当然、僕は驚喜して「で、どこのライブハウス?」と聴くと「六本木ピットイン」と言われビックリ!当時、ジャズ・フュージョン系の一流のアーティスト達、例えば、カシオペア、スクエア、プリズムなどが日替わりで演奏するような店で、僕にとっては正に「観客として行くべき場所」。「嬉しい」というよりも「恐怖を覚えた」印象の方がずっと強かったと記憶しています。


リーダーの名前から「ハングライジ」といういい加減なバンド名を名乗り、それから約3年間、六本木ピットインには毎月のように出演させてもらいました。この期間に学んだことは本当に多く、この時の経験が無ければ今の自分は無いと断言できます。残念ながら六本木ピットインは2004年に閉店してしまったそうですが、思い出の場所が無くなってしまうのはやはり寂しいものですね。

当時のスケジュール表です

その後、1983年にレコード・デビューを果たすことになりますが、「ハングライジ」では様々な経験をさせてもらいました。書いてみたいこともいろいろあります。読んで頂いている皆様に面白い話かどうかはわからないでのすが、その辺はまた改めてということで…。


で、初めてのライブハウスでガムテープを使ったかどうかは、どうしても思い出せないのです…。それ位、緊張していたんだろうな−。

2011年6月16日木曜日

ネットは生活の必需品?

先週は4日間の日程で浜松に行ってました。ローランドさんの仕事で、もう何10回目でしょうか。家から東名高速で約260kmの距離を車で走ります。初めて浜松に行った時は何て遠いのだろうと思い、何度も休憩しながらの行程でしたが、今はすかっり慣れて、ほぼノンストップで一気に走れます。

いつも朝の9時〜10時頃には到着しなければならないので、早朝の5時半頃には出発します。途中、お腹が空いたらSAで朝食を食べることも。下りでは静岡県の牧ノ原SAが僕のお気に入りです。フードコートの他、レストランでは朝食バイキングをやってますし、カフェテリア形式の店も24時間営業なのです。

浜松での滞在はいつもビジネスホテルです。ツアーの時もそうですが、結局ホテルの部屋に戻ってきても寝るだけなので、特に遊び道具は必要無いハズ。だけど、数日間ネットを全く見られない環境を想像すると、ちょっと耐えられないかも?なんて思ってしまいます。

今時のホテルは部屋まで有線LANが敷設されていますが、僕が持っているiPadのWi-fiモデルでは有線LANには接続できません。(…ですよね?)なので、部屋でのネット利用はNGなのだと思い込んでいました。

やっぱりMac Bookも持っていかなくちゃ、と考えていたとき、家にAir Mac Express(無線ルーター)が1台余っていたのを思い出しました。結果、Air Macにケーブルを接続するだけで、iPadの無線によるネット接続が完了。ホテルのベッドに横になりながら、メールやネット・ブラウジングなどをしながら快適に過ごしました。

その一方、ニュースや様々な情報収集をネットに頼りきってしまっていることを改めて痛感しました。たった1日でも見ていないと少し不安な気持ちになるのはどうなんだろうと、自分でも思います。もはや生活必需品ではありますが、「無ければ無いで何とかなる」という考え方も、僕には必要かも知れませんね。

浜松からの帰りは夜。運転しながらだと何も出来ませんし、景色が見えないので往路よりかなり退屈。でも、車の中でいろいろなことを考えながらひた走るのも、むしろ贅沢な時間の過ごし方なのかもしれません。

今回は写真を撮り忘れたので、前回に浜松に行った時に撮った空の写真を載せますね。

2011年6月13日月曜日

My Music Life

iPad/IPhone用の電子書籍を何冊かダウンロードしてみましたが、僕にとってダントツに面白かったのが「Music Life+」。無料なのに内容もとても充実していて読み応えがあります。 インタビューの音声が聴けたり、縦横によって表示される内容が変化するなど、 電子書籍ならではのアイディアも秀逸です。

僕が洋楽ロックを聴き始めたのは中学生の頃。情報はラジオと雑誌だけの時代(テレビではロックはほとんど放送されなかった)。そんな時に毎月のように買っていた音楽雑誌が「ミュージック・ライフ」だったのです。勿論、ほとんどを処分してしまっていますが、3冊だけ捨てずにとってありました。(1974年〜76年)


何故、この3冊だけ残してあったかというと、ミュージック・ライフでは読者による人気投票が行われており、その最終結果が毎年の3月号に掲載されていたから。つまり、まだ聴いたことの無いアーティストの作品を、中学生の乏しい小遣いの中から購入するための参考資料にしていたのです。

この人気投票はバンドやアーティストだけでなく、各プレーヤーも部門別に掲載されているので、眺めている内に自然とその名前も記憶されていきました。まだ耳にしたことのない作品を想像しながら、次に買うべきレコードを決めていったのです。そして、作品を新たに聴く度に、次々とチェックマークを付けていきました。


10代で覚えたことは忘れないんですよね。この時代に活躍した「ユーライア・ヒープ」や「ウィッシュボーン・アッシュ」のメンバーの名前は全て覚えているのに、CDを買っているのに「マルーン5」や「リンキンパーク」のメンバーの名前は全く覚えられませんから…。

高校に入りギターを始めてからは、ロックは聴くだけのものから、演奏するためのものに変わり、読む音楽雑誌も「プレーヤー」誌などに移っていきました。

現在は情報が溢れていて、何でも調べれば多くのことがわかってしまいます。一方、当時は情報が少なく、それを想像力で埋めていくことが、音楽をより面白くしていた側面もあったのでは?なんてことも考えてしまいます。

さて、「Music Life+」は次回はツェッペリン特集らしいです。こちらも楽しみです。

2011年6月10日金曜日

家のリハスタです。

今週はちょっとバタバタしていまして、ブログの更新ができませんでした。スミマセンでした〜。

さて、今日は自宅のリハーサル・ルームをご紹介しましょう。

この扉を開けると…、

ジャーン!

音源を制作する時はMacやマルチ・エフェクター=GT-10を使って作業をしていますが、ギターを弾きたくなった時に、すぐ音を鳴らせるように、ここに練習や確認作業用の機材を置きました。機材の起動を待ったり、面倒なセッティングもせずにギターを弾けるようにしたかったのです。(しかも片付けも簡単!)

上段は「eBand」という製品で、練習用の伴奏やコピーしたい楽曲を鳴らしながら演奏する為の機材。録音して練習の成果を確認したりもできます。

下段は「Micro CUBE」という、小さい音でもとても気持ちの良いサウンドが楽しめる小型のギターアンプです。こちらは気軽に遊びながら弾いたり、ライブ用の機材の確認などに使っています。ネット見ながらの演奏も楽しいです〜。

ところで、今年も「TOKYO GUITAR SHOW 2011」に出演させて頂くことになりました。今回は1日に3回も出演時間を頂けたので、今までにやったことの無い内容にしようと準備しています。BOSSのコンパクト・エフェクターの様々な組み合わせを実験しながら、そのサウンドを聴いて頂こうと思っています。

現在、いろいろ実験中!

まだ、詳細は未定ですが、「歪み系の効果的な複数同時使用」とか、「Bass用エフェクターをギターで使ってみる」、「生産が完了している名機と現行製品の弾き比べ」など、ちょっぴりマニアックな内容も。是非、お越しください!!

6月25日(土)&26日(日)有明のTFTホールにて開催。詳細は以下のURLでご確認ください。http://www.roland.co.jp/event/tgs2011/

TOKYO GUITAR SHOW 2010
もし当日会場に来られましたら、気軽に声を掛けてくださいね。

2011年6月2日木曜日

「F」の壁の越え方

こんなにも長い間ギターを弾いてきたのに、未だにできないことが山ほどあります。なので、あまり偉そうなことは書けないのですが、今回はギターの弾き方について、少し書いてみたいと思います。

ギターを弾き始めた人がコードの「F 」が押さえられずに挫折した、なんていう話を良く聴きます。実際に僕もへんな押さえ方をするクセがついていたので、直すのに相当苦労しました。

「F」の押さえ方は次の通り。


人差し指でペタッと1フレットを押さえ、余った3本の指で2&3フレットを押さえます。全ての音が出なかったり、親指と人差し指の間の筋肉が痛くなったりしますか?そんな場合は、次の方法を試してみてください。

・人差し指は正面ではなく、指の側面を使うと少し楽になるはずです。「ペタッと押さえます」と言われるとつい力が入ってしまいますが、軽く押さえても音が鳴る角度を探してみてください。

・人差し指は必ずしも伸ばした状態でなく、軽くアーチ状のフォームになっていてもOK。人差し指は6弦(1番低い弦)を重視してください。1&2弦は指の付け根あたりを軽く押しつけるようなイメージです。 人差し指は、6本の弦を全て押さえるのではなく、6弦と2弦&1弦の3本の弦だけで良いんですよ。

・最初は1&2弦は鳴らなくても大丈夫です。気にしない、気にしない!


ギターってアバウトな楽器ですし、弾く人によって弾き方も全然違います。なので、正しい弾き方はあってないようなもの。このやり方だってヒントにすぎませんし、楽しむことが1番です。「多くの人にもっとギターを楽しんで欲しいなぁ」なんて思ってこんなこと書いてみました。

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僕はビデオなどが無い時代に我流でギターを弾いてきてしまったので、他人の演奏を見て初めて気づくことも多いのです。

例えば、奥田民生氏のシングル「最強のこれから」に付属していたDVD(レコーディング・ドキュメント)を見たときになるほど!と思ったことがありました。

曲中で下記のような、【Am7< >Bm7】を繰り返す箇所があるのですが…、


僕はAm7をローコードで弾く場合、中指と人差し指を使って押さえるノーマルなフォームになってしまうクセがあるようです。一方、奥田氏はこの【Am7】を薬指&中指で押さえているんです。これは、次の【Bm7】に移るには非常に合理的な方法なのです。


今でも、毎日新しい発見があって面白いです。