2011年7月27日水曜日

1976年〜ライブの裏側を目撃


またまた、バイトの話で恐縮なのですが…。

17歳の頃、同じ高校に通う友人が、彼の好きなアーティストのPAを担当している会社に押しかけて、バイトさせて貰うと言い出しました。「募集もしてないのに、そんな事無理でしょ?」と思いつつも、彼に連れられてそのオフィスに一緒に行ってみたところ、何と、バイト代はあまり出せないけど、という条件でしたが採用されてしまいました。コンサートの裏側を見られる絶好のチャンスと思い、翌週から時間がある限り、さまざまなアーティストのライブを、お手伝いのPAスタッフとして経験させてもらいました。(一緒に行った友人は結局、すぐに止めてしまいましたが…って、オイオイ!)

最初は何の知識もありませんから、ひたすら荷物運び。もう、キツくて、キツくて。1日のスケジュールは以下のような感じです。

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朝9時、会場の搬入口に集合、トラックから機材を降ろす。一番大きいのはスピーカー(ウーハー)、一番重いのはパワーアンプ、一番持ちにくいのがメインのミキサー卓。(搬入は中野サンプラザは楽でしたけど、新宿厚生年金会館や渋谷公会堂は大変!)

10時頃より、スピーカーの設置後、その他の機材をケースから出して組み立てる。照明や楽器の設置を待って、セッティング図を見ながら必要なマイクやDIを振り分けてセッティング。

スムーズに進めば昼食。

14時〜15時位からサウンド・チェック&リハーサル。各メンバーのモニター・バランスのリクエストをステージ袖にいるオペレーターに伝えるため、ステージを走り回る。(マイク・チェック時に「チェック・ワン・ツー・ワン・ツー」って言うのが恥ずかしい)

17時頃リハ終了。時間があれば夕食。

18時頃から本番。本番中は曲によるマイク・セッティングの変更、マイク・ケーブルやスタンド類などのトラブルが無いか、ステージ袖で監視。

21時頃終演。朝とは逆の順番で機材をバラした後、積み込み。23時頃終了。

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この経験の中で、様々な機材の名称や、音響のシステムがどのように機能しているかを覚え、時にはモニターのオペレートをさせてもらったり。ですが、そんなことよりも、そこで働く人達がどんな思いでその仕事をしているかを垣間見れたことが、一番の収穫だったような気がします。

その時代はまだまだ業界も歴史が浅く、スタッフも皆、若かったですけど、突然現れた17歳の高校生なわけですから、それは、それは可愛がってもらいました。そのPA会社だけではなく、その現場に入っていたいろいろな会社から、「うちの会社に来いよ!」などと誘われ、「もう学校なんかやめて就職しちゃおうか?」なんて考えたこともありました。

学校の授業をサボりつつ、1年半くらいそのバイトを続けたと思います。時には地方公演などにも連れて行ってもらい、楽しかったこともたくさんありましたが、それでも高校を中退する決心はつきませんでした。

それは、袖から見るステージはとてつもなく眩しく見え、そこに立つミュージシャン達が輝いて見えたからでしょう。「自分がプロになるなんて絶対無理!」とは思っていましたが、あともう少しだけギターを弾いていたくなってしまい、その時間を稼ぐために進学することにしたのです。

世の中には自分の知らないさまざまなジャンルの音楽があること、その時代を代表するようなアーティスト達の普段の立ち振る舞いを見れたこと、そして、知らない世界でも飛び込んでしまえば何とかなる、ということなども学べたような気がします。

まあ、バイトはまだまだ続くんですけど…。

西武劇場で行われたトム・ウェイツの仕事で頂いたTシャツを着て。18歳頃の写真です。


2 件のコメント:

  1. PAってほんと大変そうですよね。
    最近はいろんなアーティストが出るイベントが
    たくさんありますが、
    そういうライブはもっと大変でしょうね。

    PA時代、一番印象に残ってるライブは
    どなたのライブですか?

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  2. mika さんへ
    コメント、ありがとう御座います。

    それほど長い期間ではありませんでしたが、沢山のアーティストのライブを観れたことは、自分にとって大きな財産だと思っています。

    チューリップ、オフコース、甲斐バンドなどは何度も観ることができたので、特に
    印象深いですね。

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