2011年12月1日木曜日

ダンシング・ヒーロー、なわけない〜1986年(1)

今回は振り返りネタで書いてみようと思います。
1985年の冬に浦安に住み始めた頃の話までは「History」でまとめて読めます。

1980年代はマイケル・ジャクソンやマドンナ、国内でも松任谷由実さんなどの活躍もあり、エンターテイメント性を前面に打ち出したコンサートが数多く観られるようになった時代でもあります。 そんな背景の中、1985年12月から始まった大江千里君の「千里が街にやってくる」は計23本の本格的なツアーとなりました。

それからの数年間は、バンドの中で動けるギター、ベース担当者も、演奏以外の様々な役割を持たせられるようになります。曲の進行に合わせ、どの位置に自分が立つかも事細かく決められ(それは「フォーメーション」と呼ばれていた)、振り付けされたステップを踏みながら演奏することも求められるようになりました。

僕はダンス・ミュージックは好きでしたが、それまでは「踊る」ことにはまるで関心が無く、ディスコにさえ行ったことがありませんでした。でも、不思議なことに「やらされている」ようには感じませんでしたね。経験することで「踊れる」ようになれば、自分にとってもプラスですし、何よりやってみると思ったよりも楽しかったからではないかと思います。(踊れるようになったのか?は微妙ですけど)

また、ニューヨークの売れっ子スタジオ・ミュージシャン=ハイラム・ブロックやウィル・リーらが結成していた「24th Street Band」のライブを観て、高度なテクニックを持ちながら、ステージ上を動き回りながら、観客を楽しませようとする姿勢に感銘を受けていたこともあるかもしれません。

演奏フレーズとは全く関係なく付けられたステップにはとても苦労させられました。ですが意外なことに、ライブ時に録音したテープを聴いてみると、それまでと比較するとノリの良い演奏になっていて、体を動かしながらの演奏は音楽の一面を理解するのには有効な手段であることを確信できたことは、自分にとっては大きな収穫でもありました。

誰もいない夜中のコインランドリーで、ガラスに映る自分の足元を見ながらステップの練習をしたのも(鏡も洗濯機も持っていませんでした…)、懐かしくも恥ずかしい思い出です。

1986年にはいろいろな出会いがあり、仕事の幅も広がっていくことになります。(続きます)

Roland Music Navi」も更新されました。楽器フェアでの写真を沢山載せましたので、是非、ご覧ください!

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